「人間が嫌い。あらゆる欲にまみれた人間が大嫌い。その欲が全ての犯罪の種なんだ。
だけど、自分を認めてほしいのも人間。一緒にいたいのも、愛してほしいのも・・・。
もうそれがすでに欲であることが気持ち悪い。私自身が人間であることも気持ち悪い。
同じじゃないか、私は同じ・・・?
いつどうなってもおかしくない、わたしはいつかあっち側になってしまうかもしれないんだ。
同じになってたまるか。欲なんて消えてしまえ。こうやって寝ていることが、人間であることから逃れる必死の抵抗なんだ」
大量のノートの中には、いろんな私がいた
書こうと思ってブログ再開してみたのはいいが、公開できそうなのが少ない
あまりにも暗い、怖い、落ちる。
まぁよくぞそんなとこから生き抜いてきたよってヨシヨシしてあげたくなる
でもそこにいたのは、どれも紛れもなく私で、これは誰?ってのはどこにもない
全てのことを認めることができている証拠だと思う
そのことにとても安心した(正直驚いている)
誰だって物語を持ってる。その人の人生の物語
思いっきり自分と向き合えたら、今度は人の物語を聞く側になれる
そんな余裕が自然と生まれてくる気がする
「自分と向き合った量」は「人と向き合える力」に比例している・・・?
脳裏に浮かんだ、ひとつの仮説。
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